こんにちは! 爽香(ソウカ)(@souka141064)です。
2020年10月18日(日)に開催された、「草加まち歩きツアー」に参加しました。
2回目のこの記事では、歴史民俗資料館と東福寺についてお伝えしますね。
1回目の記事はこちら
令和2年度「草加まち歩きツアー」に参加しました!(その1. 草加駅〜旧日光街道)
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目次
草加市立歴史民俗資料館
旧日光街道の次は、「草加市立歴史民俗資料館」を訪れました。
この資料館は旧草加小学校西校舎を改築したもので、昭和58年に開館しました。この旧校舎は埼玉県で一番古い鉄筋コンクリートの建造物で、大正15年に建てられたそうです。現在は国の登録有形文化財になっており、もうすぐ100年を迎えるほどの古い歴史を持っています。
第一展示室には、「5300年前(縄文時代)の丸木舟」や「古墳時代の石器」、江戸時代当時の「日光街道」や「大川邸」の模型、「おくの細道」や松尾芭蕉に関する資料が展示してあり、館長より詳しく説明をして頂きました。
草加に人々が住み始めたのが1600〜1700年前の古墳時代であったこと、日光社参には御成道だけでなくこの日光道中(当時の名称)も使われていたこと、伝右川は井手伝右衛門が江戸時代に作った川であること、どれも皆初めて耳にすることばかりで、新鮮でした。
今回は自主見学となりましたが、隣の第二展示室には稲作が盛んであった時代に使われた農具や、昔の生活用品、草加の伝統産業である「草加せんべい」「皮革産業」「本染の浴衣」が展示してありました。
2つの展示室以外にも2階には特別展示のスペースがあり、また、廊下には所狭しと昔ながらの懐かしい生活用品や器具が並んでいます。これだけのボリュームがあって、この資料館はなんと入場無料なのです。
今後草加駅に来る際は、イベントをチェックして是非立ち寄りたいです ^^
東福寺
次に訪れたのは「東福寺」です。草加宿の祖といわれている大川図書が1606年に創建した寺で、正式名称は「松寿山不動院東福寺」です。このお寺の見所は「見事な彫刻」です。
まず、東福寺正門の梁の彫刻。「草加宿案内人の会」のガイドさんの解説によると、表と裏で空海のストーリーを描いているとのこと。
表の彫刻では当時中国にいた空海が、目の前で字を書いている子供に「龍の字の点が足りない」ことを教えたところ、空から天女が降りてきて「布教のために日本に帰らなきゃ」と決心したとのこと。
裏の彫刻では、空海が日本に戻る際、多くの人が見送りにきている場面を表しているそうです。こんなお話は、ガイドの方がいらっしゃらないとなかなか伺えないし、1人で来た時は全く気付かずに門をくぐっていました。
見事な彫刻は鐘楼と本堂の梁にもありました。何故こんなに造作の細かい彫刻がここにあるかと言うと、日光東照宮で仕事を終えた職人が、江戸への帰りすがらのお金稼ぎでやった仕事とのこと。
「えっ、そんな帰りしなの仕事でこの完成度?」と、見れば見るほど、その細やかさと器用さに目を見張るばかりです。
そして今回は、市の指定有形文化財となっている、本堂の中の見事な欄間(東福寺本堂内外陣境彫刻欄間)も見せて頂きました。こちらは恐れ多くて画像の撮影はできなかったので、草加市役所のホームページよりご覧ください。
今回の案内には含まれていませんでしたが、8月に1人で訪れた際には本堂右手の庫裏にも伺い、見事な池を拝見しました。
また、境内の北側には東福寺不動王があります。
手水場の横に「重軽不動明王」があるのですが、お参り前と後で持ち上げ、お参り後の方が軽く感じたら願いが叶うそうです。
画像右は実際に私が持ち上げたところです。8月だったので、日焼け防止で顔マスクにサングラス、手袋をしていますが、墓泥棒ではありません!
感想|プロの説明は深みが違うことを実感
今回の記事でお伝えしたルートは以下の通りです。
実は2つの建物の間に「おせん茶屋」も訪問しているのですが、ここで昼食を食べたので次回の記事でご紹介します。
「歴史民俗博物館」も「東福寺」も8月に1人で訪れているのですが、何もわかっていなかったことを痛感。今回のツアーで、館長や「草加宿案内人の会」のガイドさんが解説して下さることで、初めてわかったように思います。やはりきちんと勉強してこられた方の知識量と言葉の重みは違いますね。
次の記事では、「志免屋」での手焼きせんべい体験と「おせん茶屋」、昼食についてお伝えします ^^
3回目の記事はこちら!
令和2年度「草加まち歩きツアー」に参加しました!(その3. 志免屋・おせん茶屋公園)
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