こんにちは! 爽香(ソウカ)(@souka141064)です。
2020年10月18日(日)に、「草加まち歩きツアー」に参加しました。
たくさんの場所を巡り、また、1つ1つの場所のエピソードが楽しくも深いので、1つの記事に纏めるのはとても無理、数回に分けることにしました。
1回目のこの記事では、スタート地点(草加駅東口)から旧日光街道をお伝えしますね。
目次
「草加まち歩きツアー」の概要
朝から夕方にかけて、旧日光街道から草加松原を散策しながら各名所を訪れたり、草加せんべいの手焼き体験をしたりと、草加を味わえる、盛り沢山の内容が詰まったイベントです。
草加市文化観光課が主催のこのイベント、参加費はなんと500円。ワンコインです。
各スポットは「草加宿案内人の会」のガイドさんが説明して下さるとのこと。草加市を勉強中の身としては、とても有り難い機会になりました ^^
前日は大雨で天気が心配でしたが、当日の朝起きたら何とも清々しい青空が広がっていて安心しました。
いざ、「草加まち歩きツアー」へ!
草加駅東口
草加駅東口からスタートしたのですが、駅前から既に、目から鱗が落ちるお話をたくさん聞きました!
まず、この女の子の像。おせんさんに対し「こせんちゃん」と勝手に呼んでいたのですが、「アコちゃん」だと判明。由来は草加AKOSからきているんでしょうね。
そして駅前に立つ商業施設の「AKOS」。この名前はただ「草加(SOKA)」を逆さまにしただけかと思っていたら、「Akro of Soka」の頭文字を取ったものとのこと。意味は「草加の核」だそうです。
そして草加駅の屋根の丸み。これはおせんべいの丸みを表しているとのこと。全然知りませんでした!草加駅東口の再開発は平成4年とのこと。当時からよく考えて作られていたんですね。
旧日光街道
東口を背に真っ直ぐ行き、2つ目の交差点を南北に走るのが旧日光街道です。今回は北(左)に曲がりました。道幅は約7〜8mとのこと。この道が昔は日光東照宮に通じていたんですね。
行き交う人達がお店の袖看板が見やすいよう、街道が整備された際に道が少し斜め作られているそうです。昔の人の工夫を感じます。
そして明治初期には北千住から春日部まで、鉄道馬車が通ったそう。ただし、馬は休んだりして時間通りに進まないので、3年ほどでなくなってしまったそうです。残念ですね。
八幡神社
しばらく行くと、右側に八幡神社の鳥居が現れました。
この通りの敷地や住宅はほとんどが入口が狭く、奥に長い作りなのですが(うなぎの寝床のような感じです)、この神社も奥に拝殿があって入口が狭いので、私も最初に来た時は鳥居を見逃して通り過ぎてしまいました。
今回は内部まで入りませんでしたが、個人で訪れた際の画像をご紹介します。
神社自体は住宅に囲まれており、敷地も広くはなくこじんまりとしています。拝殿内には江戸末期に作られた高さ83cmの獅子頭雌雄1対が安置されており、市の指定有形文化財に制定されているとのこと。いつか見てみたいです。
藤城(ふじしろ)家住宅店舗・内蔵・外蔵
さらに道中を進むと、今度は昔ながらの風情を残した住宅が視界に入りました。これが藤城家住宅店舗・内蔵・外蔵です。
こちらは江戸時代の宿場町の面影を残す大切な建造物として、平成25年に国登録有形文化財に登録されています。建物にある説明を読むと、建築当時は他の建物と同様に奥に長い造りで、正面が2階建ての店舗、その奥に内蔵や貯蔵庫があったそうです。
今でも正面の建物の裏手には蔵が見えます。
草加宿案内人の方のお話では、最後は味噌屋さんだったとのこと。店舗二階外側の太い梁はお金持ちであったことを物語り、また、店舗正面の格子戸の裏は1枚硝子になっていて、波打っているそうです。凄いですよね!
ここまで聞いたら是非中を見て見たいものですが、この建物は個人所有のため内部は非公開とのこと。外観からイメージを膨らませることで我慢しようと思います。
感想|旧日光街道はただの道じゃなかった!
今回の記事でお伝えしたルートは以下の通りです。
地図にしてみれば、たった5分もの道。でも「草加宿案内人の会」のガイドさんのお陰で、この町の歴史を知り、たくさんのエピソードを伺うことができて本当によかったです。ここに書ききれなかったお話も色々と伺いました。
1人でぶらぶら歩いても、何もわからず、また、気が付きもしませんでした。今の時代、ネットで調べることもできますが、そこで生まれ育った人でないと気が付かないような変化や小さなエピソード、情感も多くあるんですよね。
次の記事では「歴史民俗資料館」と「東福寺」についてお伝えします ^^
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令和2年度「草加まち歩きツアー」に参加しました!(その2. 歴史民俗資料館・東福寺)
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